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「答えを出さないAI」が考える力を育てる。AIメンタリングシステムが目指す、新しい学び

問いに対して即座に答えが返ってくる生成AIが普及する現代。効率化が極まる一方で、人間の「考える力」が奪われるのではないかという懸念も広がっています。そうした中、あえて人間に「答えのない問い」を投げかけ、深い内省を促すAIの開発が進められています。それが、NECソリューションイノベータと、東京大学・堀越耀介特任研究員が共同で挑む「AIメンタリングシステム」です。
開発の背景にあるのは、単なる効率化のための手段としてではなく、人の判断や思考、創造的な営みを支える存在として捉えた、『人間とAIが真のパートナーとして共存する「代理存在AI」』というビジョンです。一人の哲学者の思考プロセスや価値観をAIに宿らせるというこれまでにないプロジェクトは、どのように始まり、社会にどのような価値をもたらすのでしょうか。堀越先生をはじめ、プロジェクトの中核を担う3名に話を聞きます。
探究学習への違和感と「哲学対話」との出会い
NECソリューションイノベータにおいて、先端技術研究、人間理解の研究、さらには社会課題の解決に貢献する新規事業開発を行う「イノベーションラボラトリ(以下、イノベラボ)」。その中のビジネスラボラトリで教育領域の新規事業開発を担当していた阿部由莉は、2022年頃、学校教育における「探究学習」の現状に強い違和感を抱いていました。
「探究学習には、“正解のない問い”に向き合う人材を育てるという目的があります。しかし、実際には、すでに“学術的な正解がある問い”を調べて満足してしまう生徒がとても多く、『これでいいのだろうか』と感じていました」(阿部)

イノベーションラボラトリ 主任
そんな折、阿部は社内研修で、堀越先生がファシリテーターを務める「哲学対話」を体験します。哲学対話とは、2010年頃から主に日本の教育を中心に広がり、近年は企業でも導入が進んでいる手法です。「自由とはなにか?」「生きる意味とはなにか?」といった、答えのない哲学的な問いをめぐり、十数人でひたすら話し合うというものです。
その意義について、堀越先生は次のように説明します。
「ビジネスの現場に哲学対話を導入した場合、人材育成に大きな効果を発揮します。哲学対話は『考えること』と『言葉にすること』の連続のため、自分の曖昧な思考を言語化して他人に伝える能力や、プレゼンテーション能力が飛躍的に向上するのです。また、過去のどんな哲学者も明確に回答できなかった根源的な問いの前では、役職やスキルのヒエラルキーが意味を持たなくなり、参加者全員が平等な立場になります。そんなフラットな場を共有し、お互いの根底にある価値観や背景を知ることで相互理解が進むことも、哲学対話の大きなメリットと言えるでしょう。なにより、他者と対話を重ねる中で『こういうふうに考えてもいいんだな』『こうじゃないかな』と、たくさんの気づきを得られることが“楽しい”んですよね」(堀越先生)

東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属 共生のための国際哲学研究センター 特任研究員
阿部はこの体験に衝撃を受け、これこそが探究学習で本当にやるべきことだと直感。しかし、哲学対話には堀越先生のような知識と経験を兼ね備えたファシリテーターが必要で、全国の学校に取り入れるのは不可能です。そこで阿部は、当時、イノベラボの研究テーマだった「代理存在AI」技術を用いて堀越先生の知識や考え方をAI化できれば、日本中のあらゆる場所で哲学対話を提供できるのではないかと考えました。
未来のAIは「ツール」ではなく、「パートナー」であるべき
一方、イノベラボのサイエンスラボラトリで代理存在AIを研究していた佐々木康輔は、「未来のAIのあり方」について根本的な問いを立てていました。
「現在、AIは『ツール』として活用される場面が多くあります。その先に私たちが思い描く未来のAIは、SF作品に描かれるように人と自然に関わる『パートナー』です。すべてをユーザーの思い通りにしてくれる『都合のいいAI』ではなく、真のパートナーとして、社会の中で関係性を築ける『誰かの代理として認められるAI(代理存在)』。その考え方が、この取り組みの出発点です」(佐々木)

イノベーションラボラトリ 主任
そう考える佐々木にとって、一人の哲学者の知識と考え方をAIに落とし込みたいという阿部のアイデアは、とても興味深く感じられました。こうして、阿部と佐々木は、堀越先生のもとへ「先生をAI化させてください」と直談判へ。最初は「無理だろう」と半信半疑だった堀越先生ですが、社会に哲学対話を広めるためのリソース不足という課題感もあったため、協力を決断します。
「もちろん、今すぐAIに哲学対話のファシリテートができるようになるとは思っていません。しかし、その前段階の、個々人が『ある程度は型にできる根本的な問いを繰り返し考えるプロセス』にAIが使えるのなら、それはすごいことになるだろうという期待感がありました」(堀越先生)
こうして、2023年から堀越先生の価値観や思考プロセスを代理存在AIに落とし込む開発がスタートします。その開発プロセスは想像を絶するほど泥臭いものでした。
「堀越先生に『現場で使っているノウハウを書き出してください』とお願いしても、できるわけがありません。実際の現場では、目の前の相手に合わせて無意識に臨機応変な対応をされているからです。そこで今回は、私が作ったプロトタイプのAIとひたすら対話を行い、そのログを先生に見ていただくという手法を採りました。『AIとこんな感じで対話したのですが、内省できていると思いますか?』『先生ならここでどう展開しますか?』と、一つひとつのプロセスをヒアリングし続けたのです」(佐々木)
この取り組みをおよそ1年かけて検証し、さらにAIを堀越先生により近づけるための問いかけのバリエーションを洗い出して、言語化していく作業が続きました。途方もない作業でしたが、このやり取りは堀越先生にとっても予期せぬ大きな自己内省をもたらしました。
「私は研究者ですから、哲学的な思考を深める技術や理論の大枠について、それなりには抽象化して語れます。しかし、実際の哲学対話は技術や理論だけでうまくいくものではなく、相手が今考えていることに対して『それがどうして面白いのか』を伝えてあげるなど、相手に関心を示すことや教育的な配慮が不可欠です。今回の取り組みを通じ、それが技術や理論には載らない、人間にしかできない無意識の技(アート)なのだと気づかされました。技術をシステムに落とし込むプロセス自体が、自分の態度や振る舞いを知る深い内省につながったのです」(堀越先生)

「モヤモヤ」がもたらす本質的な深い学び
2年近くの月日をかけて段階的に検証と改良を重ねていった堀越先生の“AI化”。阿部はこれを高校教育向けの「AIメンタリングシステム」としてパッケージ化し、教育現場での実証実験フェーズへと移行させます。その導入にあたって、教育現場の反応は阿部の予想を良い意味で裏切るものだったと言います。
「多くの先生方が、生成AIをそのまま生徒に使わせることにリスクを感じつつも、その必要性については十分に理解されていました。そうした中で、『これは一般的な生成AIとは異なり、堀越先生の哲学対話のメソッドが入った、生徒へ問いかけをするAIです』と丁寧に説明すると、高い関心を示してくださったのです」(阿部)

こうして、段階的な検証を経て、2024年から本格的に一部の高校で「AIメンタリングシステム」の実証実験がスタートします。
阿部は当初、こうしたアプローチが事業として成立するのか、大きな不安があったと振り返ります。
「短期的な成果が見えにくく、すぐに“効果”を説明できるAIではありません。それでも、考える力を育てるという本質的な価値に向き合わなければ、探究学習の課題は解決できないと感じていました」(阿部)
実証実験の現場では、生徒の変化が少しずつ現れはじめました。従来の探究学習では、テーマとされる社会課題(SDGsや地球温暖化など)を自分ごと化させることが難しいという課題がありました。本システムを活用することで、まずは身の回りの事象からテーマについて考え始められるようになったのです。
佐々木は、この実証実験を通じて非常に興味深いデータが得られたと、興奮気味に語ります。
「対話のログを見ると、生徒たちが本当に悩み、答えを出せずにいることがわかります。先生方の中には、それが解決すべき問題のように見えた方もいたようです。ただ、事後のアンケートで『AIを使って気づきはありましたか?』と生徒に問うと、『あの時、答えを出せずモヤモヤしていたのは、良いことだったんだ!』と気がつくケースが多く見られました。つまり、対話の最中には気づきを得ていなくても、自分の対話を振り返る時間に気づき、深い内省につながることがある。これが哲学対話の本質ではないか、ということです。この視点を得たことは、我々にとっても最大の驚きでした」(佐々木)
堀越先生も、この現場の変化と成果を高く評価しています。
「答えを教えるこれまでの教育とは完全に逆行するアプローチですから、最初は生徒も先生もイライラしますし、モヤモヤもします。でも、次第にそうじゃなかった、これでいいんだって気がつくんですね。中には『このAIの問いかけは、小論文の指導にも使えるのではないか』と、新たな利用シーンまで検討してくださった先生もいたそうです。現場全体のあり方や意識が変わりつつあるのを感じています」(堀越先生)
人間の思考をより高めるためのパートナーを目指して
開発開始から2年以上が経過し、教育現場での活用において確かな成果を生み出しつつあるAIメンタリングシステムですが、開発陣は現状に満足することはありません。堀越先生と佐々木は、「教育現場での活用という観点では一定の完成度に達している一方で、研究としてはまだまだ議論すべきことがある」と口を揃えます。
「実証において、生徒が自分自身と向き合って問いを深めるシステムとして機能していることから、基礎的な理論を載せた『哲学対話の補助システム』としては完成しつつあると思います。しかし、細かい教育的配慮や重みづけの判断がAIには難しく、『私の完ぺきな代理存在』としてはまだ程遠いのが現状です」(堀越先生)
「そもそも完璧な代理存在とは何かを、今まさに俯瞰的に議論し続けているところです。仮にAIが完璧に堀越先生をコピーした状態を100点として、全国の人がいつでも堀越先生AIと話し、そのAIのアドバイスで進路を決めてしまうような未来が、果たして本当に幸せなのか。100点の定義がそれで良いのかという疑問があります。我々は堀越先生のコピーを作りたいわけではなく、あくまで人間の思考をエンハンス(拡張)するためのパートナーを作りたいのです。社会の中でこのAIがどのように使われるのが一番幸せなのかという『体験のデザイン』を描ききってこそ、初めて100点を定義でき、完成度の話ができるのだと考えています」(佐々木)

とはいえ、ここまでの成果が証明しているように、先生方の伴走のもと、正しく活用すれば有用なツールであることは2人も認めています。現場のフィードバックをもとにさらに完成度を高め、2026年より教育現場向けの商用サービス「NEC Thinking Support AI」として提供を開始する予定です。高校生だけでなく、大学生や社会人への展開も検討中です。
「正解のないものに向き合い、自分なりの答えを見つけて社会に実装していく力は、新規事業開発などビジネスの現場でも不可欠です。学生だけでなく、AI時代を生きるすべての人が『考える力』を育み、『自ら課題を見つけ、解決に向けて行動する人材』となることを支援するサービスへと進化させていきたいと考えています」(阿部)

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