人事・総務コラム
思想なき「人事DX」は失敗する
コラム執筆者:曽和 利光氏掲載日:2023年9月13日
人事のDX(Digital Transformation)とはなんでしょうか。それは単に人事業務をITシステムで行うようにして効率化を図ること「だけ」ではありません。人事のDXとは、IT化によって組織の中のさまざまな人事現象(採用、育成、評価、報酬、配置、代謝等々に伴う一連の動きや状態)がデータによって「見える化」され、さらにその先にある「データの分析・活用を通した人や組織の変革」まで行うことを目指したものです。もっと言えば、これまで「勘と経験」で行ってきた人事を、「データとロジックとセオリー」で行うことで、人事における諸判断の精度を高めたり、人の目だけでは発見できなかった法則を発見したりすることではないかと私は思います。
単純なIT化だけでも、業務効率化ができてよいではないかとも言えますが、そこには落とし穴があります。現在行っている人事業務やそこにおける判断が完全に理想状態で正しいものであればよいのですが、そうでなければ、IT化を推し進めて効率化したことによって改善の機会を奪うかもしれません。現在の人事業務の間違いや無駄をそのままにしておいて、それをとても効率的に実行することになりかねないということです。IT化はブラックボックス化を伴うことも多いので、一度、IT化されて自動的に実行されるようになったプロセスは改善する機会がなかなかなくなってしまいます。ですから、業務効率化だけを目指す改善思想なき「似非DX化」は危険なのです。
では、人事DXはどんな順序で行うべきでしょうか。人事DXが「人や組織の変革」を目指すべきものである以上、最初に特定すべきは人事DXによって解決したい「組織や人の課題」が何かです。人的生産性を向上させたいのか、離職率を下げたいのか、ハイパフォーマーの特徴を発見して採用や育成に反映したいのか、人材配置の最適化を行いたいのか、平均年齢を下げたいのか。可能な限り、将来にわたって自社に起こりうる組織課題をリストアップします。人事DXの結果(何らかのシステム導入とそれに伴う業務の変更)は長期にわたって続くものなので、目先の課題だけではいけません。事業計画と連動して、ビジネスの進展とともに組織にどんな変化や成長が求められるのかを推測し、そこで生じる課題に対応できるようにします。
組織課題が特定できたら、そのそれぞれについて、「結果指標」を特定しましょう。例えば「離職率を下げる」という場合なら、「どんな層の離職率を下げるのか」(年代、勤続年数、評価、事業部門、職種、等々)、「生産性を上げる」という場合なら、「一人当たり売上」なのか「一人当たり利益」「時間当たりの何か」「行動量」等々を定めていきます。それがわかれば、データとして取得してITシステムの中に格納しておくべきものがわかります。こうして先に結果指標を定めておかなければ、人事DXを行う際に、諸々設計し終わった後で「結局、見たい結果が得られない」ことにもなりかねません。この「結果指標」は、人事DXの際に、常に経営陣や人事担当者がウォッチしておく「ダッシュボード」(重要指標をリアルタイムに把握できるようにまとめたもの)としても用いることになります。
そして、最後に重要なものが、「原因指標」の設定です。実は、人事DXにおいて、これができていないところがとても多いのです。「結果指標」だけを追えるようにしていても、「原因指標」がデータとして格納されていなければ、対処のしようがありません。人に例えて言うならば、体温という「結果指標」を毎日測っていたとしても、38度の熱が出ていたら「何かまずいことが起こっている」ことはわかりますが、それだけです。解熱剤を飲めばよいのか、ゆっくり入浴すればよいのか、睡眠を取ればよいのか解決策はわかりません。しかし、体温の原因が、風邪なのか、疲労なのか、気温の上昇なのかがわかれば、適切な対処方法がわかります。これと同じように、「結果指標」の原因となりうる要素が何になるのかの仮説を立てて、そのデータも獲得しておかねばならないのです。
この「原因指標」としてみなされやすいものは、「従業員満足度(Employee Satisfaction : ES)」や「組織コミットメント(組織に対する貢献意欲)」「エンゲージメント(組織や仕事と個人の志向や能力の合致度合い)」「モチベーション」などを各種サーベイなどで数値化した「主観的データ」です。これらが低下すれば、離職やパフォーマンスに影響するということで、「原因指標」とされるわけですが、私は、これらの主観的なデータは見えないもので、直接的にコントロールできないために、最終的な「原因指標」としては不十分だと思います。言わば、「中間指標」のようなものでしょう。組織の現場も、「おたくの部署はエンゲージメントが下がっているから上げるように」と言われても困ってしまうのではないでしょうか。
問題解決のために設定する「原因指標」はできるだけ直接的にコントロールできるものでなければなりません。例えば、勤怠データ(労働時間、遅刻・欠勤回数、有給休暇取得率等)、異動履歴、研修受講履歴、各種能力・スキル・コンピテンシー等々です。これらの指標と、結果指標との関係性があるとわかれば、例えば、労働時間を減らす努力をするとか、異動のタイミングを考慮するとか、研修に行かせて能力獲得をさせるとかの具体的な解決行動を取ることができます。このような「原因になりうる指標」をデータとして取り込んでおかなければなりません。また、多くの組織課題の原因になるにもかかわらず、データとして補足されていないことが最も多いもの、それが社員のパーソナリティ(性格)のデータです。上司と部下のパーソナリティの相性によって、部下のパフォーマンスが変化したり離職や定着に関係したりすることは広く知られていますが、それにもかかわらず、パーソナリティデータを取り込んでいない組織はまだまだたくさんあります。ぜひ人事DXを行うのであれば、これを機会にパーソナリティ情報は取得するようにしましょう。
以上、成功する人事DXに必要なプロセス「組織課題の特定」「結果指標の特定」「原因指標の特定」について述べてきました。要は目的に応じて、データ化すべき、分析対象とすべきものをきちんと特定してから抜け漏れなく取得するようにしましょうというシンプルなことです。人事データは他の領域と違って、取得に長年かかるものがたくさんあります。例えば「早期退職者のパーソナリティ」というデータは、誰かが入社して実際に早期退職(と言っても数年はかかるでしょう)して初めて取得できるわけです。ですから、最初に取得すべきデータを考えて、人事DXとともに取得していかなければ、人事DXの成果を得られるのが先延ばしになってしまうのです。せっかく人事DXを行うのであれば、「何のためにするのか」という思想を持ち、進めていきましょう。