人事・総務コラム
人的資本経営の革新/進化をもたらす
生成AI活用と未来戦略
コラム執筆者:香川 憲昭氏掲載日:2024年8月2日
一般社団法人HRテクノロジーコンソーシアムでは、2023年より生成AI活用を人的資本経営の新たなフロンティアとして位置付け、日系大手企業との実証実験(PoC)を通じてその可能性を探り続けている。本稿では、まず生成AIの概要とその特長について触れ、その後、実証実験を通じて人的資本経営にもたらす革新的なインパクトについて有用性が確認できた成果の一端を紹介する。
生成AIは米OpenAIによって開発された先進的な大規模言語モデルであり、自然言語処理分野で画期的な進歩を続けている。このモデルは、膨大な量のテキストデータを基に学習し、人間との対話やテキスト生成、情報の解析といった幅広いタスクを高度なレベルでこなすことが可能である。生成AIの最大の特長は、与えられた役割に“なりすまし”、人と高度に対話する能力と、複雑な問題に対する解決策を提案する能力の2つである。この優れた能力により、日本の大手企業の人的資本経営における重要な課題への対応力が大幅に向上する。
生成AIを人的資本経営に活かす上で最も有用なテーマの一つは、「従業員のキャリア形成とスキル開発」である。生成AIは従業員一人ひとりとの対話を通じて、職務経歴、スキルレベル、知識と関心のありかを分析し、それに基づいたキャリアパスやトレーニングプログラムを提案してくれる。また、従業員の健全なメンタルヘルス管理においても極めて重要な役割を果たす。個々の従業員が抱えるストレスや不安要素について、産業医面談の代わりに生成AIとの対話を通じていち早く検出し、適切な人事サポートを提供することで、メンタルヘルス不調の予防に大きく貢献する。
さらに生成AIを活用することで、人事部門は従業員に対する上長からのパフォーマンス評価とフィードバックの会話内容をリアルタイムで情報収集/分析し、組織全体の人的資本マネジメントをより効果的に行うこともできる。このように、生成AIは従業員との対話を通じて一人ひとりのパーソナルなニーズに対応するだけでなく、組織全体の人的資本戦略を最適化するためのインサイトを提供してくれる。
現代の日本企業において、従業員の「自律的キャリア形成」は、定着率を上げ、エンゲージメント向上に直結する重要な課題となっている。日本企業では、これまでは従業員のキャリア形成が企業主導で行われることが多く、従業員一人ひとりのキャリア志向と必ずしも相容れない定期人事異動を実施していた。そのような状況下では、個々の従業員のキャリア志向やスキル開発のニーズが必ずしも十分に反映されることはない。また、急速なデジタルテクノロジーの進化に伴い、必要とされるスキルセットが変化している中で、従業員自身が自律的にキャリア形成を考え、適切なスキルを身につける必要性が高まっている。人事部門はこれらの課題に対して生成AIを活用することで、以下のようなステップで効果的な支援を行うことができる。
ステップ1. 個々の従業員のキャリア志向の理解とスキルデータの蓄積:
生成AIは、従業員と人事部門/上長との面談記録をテキストデータ化し、分析することで、従業員のキャリア志向や関心のありかを特定することができる。従業員が自分自身について語るテキストデータを元に、個々のキャリアの目標や志向を把握し、それに基づいたキャリアアドバイスを的確に提供することが可能となる。
ステップ2. パーソナライズされたスキル開発プランの提供:
生成AIは、従業員一人ひとりの過去の業務経験、現在のスキルレベル、将来のキャリア目標を分析し、パーソナライズされたスキル開発プランを人事部門に提案してくれる。
ステップ3. キャリア開発のロードマップ作成を支援:
従業員が自らのキャリアの方向性について生成AIと対話を行うことは、関心のある社内キャリアパスを考える上で大きな助けとなる。そして、従業員一人ひとりのキャリア対話データを分析することを通じて、人事部門は従業員が希望するキャリア形成に必要なスキルや経験を明確にし、その達成に向けた能力開発ロードマップを作成することが可能である。
例)データサイエンティストへ職種転換を志向する従業員向け能力開発ロードマップ
生成AIとの対話を通じてデータ分析スキルやプロジェクト管理の知識を習得するための関連オンラインコースが推奨され、人事部門担当者はその内容を吟味して1年間のキャリア開発ロードマップを作成することができる。
ステップ4. 定期的なキャリアレビューとフィードバックの提供:
生成AIは、定期的なキャリアレビューのプロセスを効率的にサポートし、従業員が自身の進捗を追跡し、目標に向けてどのように進んでいるかを評価するのに役立つ。人事部門に対しては、個々の従業員の業績データやフィードバックを分析し、具体的な進捗状況や改善点をフィードバックとして提供する。
ステップ5. メンタリングとコーチングの促進:
上述のステップによりキャリア関連データを積み重ねていくことで、生成AIを介して従業員とメンターやコーチとのマッチングを支援することが可能となる。人事部門は、従業員一人ひとりのキャリアニーズや目標に合った適切なメンターやコーチを推薦し、キャリア形成における対話や相談を側面支援することが可能となる。
ステップ6. 組織内コミュニケーションの強化とキャリアパス多様化:
キャリア形成に関する従業員個々人のデータ蓄積が進むと、従業員は他の部署やチームの業務について理解を深め、異なるキャリアパスに関する知識やアイデアを得ることができる。一方、人事部門では、従来の人事異動プロセスでは提示が難しかった多様なキャリアパスを従業員向けに提案する幅を広げられるようになる。
これらの取り組みを通じて、生成AIは従業員が自己のキャリアを自律的に形成し、自らのポテンシャルを最大限に発揮するためのサポートを提供してくれる。また、企業側にとっても、従業員の自律的キャリア形成を支援することで、よりモチベーションが高く、能力を最大限に発揮できる人材をより多く育成することが可能となる。
日本企業が直面している従業員の自律的キャリア形成に関する課題は多岐にわたるものの、生成AIのような先進的なテクノロジーを活用することで、これらの課題を克服し、従業員一人ひとりが自身のキャリアを有意義に形成していくための基盤を築くことができる。企業はこのような取り組みを通じて、従業員の満足度とエンゲージメントを高め、組織全体の成長と発展を促進することができる。
日本企業における従業員のメンタルヘルス不調を予防することは、現代の労働環境整備における重要な課題の一つとなっている。長時間労働、高いストレス、ワークライフバランスの欠如など、メンタルヘルス不調の問題に直面する従業員数は増加し続けている。これらの課題に対して、生成AIのような先進的なAI技術を活用することで、以下のような解決策を提供することが可能である。
1.メンタルヘルス不調者の事前調査、助言内容の学習:
まず、社内のメンタルヘルス不調者の事例調査を行い、不調に陥る原因、労務環境等の類型化を行う。具体的には、メンタルヘルス不調予備軍のペルソナを設計し、メンタル不調に陥りがちなパターンを複数整理する。その上で、不調に陥りがちなパターンごとに産業医から助言をもらって内容を予め整理し、生成AIに学習させる。
2.ストレスレベルのモニタリングとメンタル不調予備軍の早期発見:
生成AIに産業医になりきってもらい、メンタルヘルス不調を直接的に訴えている従業員または潜在的にメンタルヘルス不調に陥る可能性が高まっている従業員*との対話を予防的措置として人事部門より打診し、実施する。
*勤怠管理データの自動収集・可視化を通じて過重労働リスクが高まっている従業員を把握する等、メンタルヘルス不調のシグナルを感知する仕組みの整備が必要
3.従業員から対話内容を提出してもらい、産業医の監修を受けながらコミュニケーション内容を分析することで、ストレスレベルやメンタルヘルス不調の発症可能性、その原因・兆候を早期に検出することが可能となる。
4.メンタルヘルス対策へのサポート充実:
従業員がメンタルヘルスに関するサポートを必要としている場合、生成AIを通じて適切な社内外のサポート主体への紹介、案内を行うことも可能。例えば、社内のカウンセリングサービス、心理学的サポート、または外部の専門家に関する情報を予め学習させておくことで、適時適切なタイミングでサポートへの紹介を行うことができる。
5.予防的な対策の提案:
生成AIは、人事部門等の主管部門に対してメンタル不調発症の主原因となりうる所属組織でのマネジメントのあり方、人間関係及び過重労働を含む労働環境の改善に向けた予防的な対策を提案することができる。これには、労働時間の調整、仕事の負担軽減、リモートワーク推進、人員の配置換え等が含まれる。
上記の取組みを進めることにより、企業は従業員のメンタルヘルス不調の発症を予防し、より健康で生産的な職場環境を構築することが可能になる。そして、このプロセスは、単に従業員の精神的健康を維持向上するだけでなく、従業員の組織に対するロイヤルティとエンゲージメントを高めることができ、長期的に労働生産性を引き上げ、企業の良質な組織風土の醸成にも寄与する。
不確実性が高まり激変が続く現在のビジネス環境では、人的資本の最適化が企業の持続可能な成長にとって不可欠である。この文脈において、生成AIのような先進的なAI技術の活用は、人的資本経営における革新をもたらす重要な要素となる。そして、この革新を実現するためには、経営者と人事部門に以下のような備えが求められる。
[経営者に求められる備え]:
[人事部門に求められる備え]:
本稿で見てきたように、生成AIの導入は、単に新しいツールを取り入れること以上の意味を持つことは明白である。これは、自律性を尊ぶ従業員一人ひとりのキャリア形成、さらには健全で望ましい組織文化を形作るプロセスそのものである。経営者と人事部門は戦略的に生成AIを活用することで、人的資本経営の革新を実現し、企業の持続可能な成長をリードすることができる。