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IT×心理学

・Innovation Story 11

#研究開発 #心理学 #行動科学

なぜITサービス開発に、心理学の研究者が必要なのか?

#研究開発 #心理学 #行動科学

IT企業の研究開発部門は、情報工学やAI、ハードウェアなどの技術分野を専門とする人材で構成されるのが一般的です。これに対し、NECソリューションイノベータのイノベーションラボラトリ(以下、イノベラボ)では、心理学・行動経済学・生物学など人間科学の専門家を研究体制に組み込み、人間の行動や心理に関する知見を体系的に蓄積しています。

イノベラボがIT開発の現場に心理学を取り入れる背景には、どれほど高度な技術であっても、社会に受け入れられるかどうかは利用者である人間の心理的反応に大きく左右されるという認識があります。この考え方は、「ヒトを知り、ひとの可能性を広げる、人間中心ラボ」というイノベラボのコンセプトにも反映されています。

人間の個人差や認知のメカニズムを解明する取り組みは、ITシステム、マーケティング、UI/UX設計など幅広い領域において、再現性のある洞察の創出に寄与します。本稿では、心理学をはじめとする学術的知見がIT開発にどのように応用されているかを整理し、その具体的な取り組みを解説します。

NECソリューションイノベータ株式会社 イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第一グループ  市川 玲子(いちかわ れいこ)
NECソリューションイノベータ株式会社
イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第一グループ
市川 玲子(いちかわ れいこ)
NECソリューションイノベータ株式会社 イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第一グループ  市川 玲子(いちかわ れいこ)
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イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第一グループ
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ペルソナでは捉えきれない個人差と内的要因

従来のサービスや仕組みは、多くの人に当てはまる“一般化されたニーズ”や、“平均的な利用者像”を前提に設計されてきました。近年は、ライフスタイルや嗜好の多様化を背景に、より具体的なペルソナが設定され、マーケティングの施策などに応用されています。

同じペルソナに分類される利用者に、同じサービスを提供しても、その効果や反応には個人差が生じます。これは、年齢や家族構成、居住地といった第三者から把握できる属性に加え、本人も十分に自覚していない心理特性が影響するためです。

こうした内面の個人差を捉えるうえで有効なのが、心理学の知見や方法論です。

例えば「家族向けのサービス」を検討する場合、「未就学児が2人家庭」という属性情報だけでは、利用行動を十分に予測することは困難です。心理学の知見を用いることで、家庭内でのパワーバランスや夫婦の心理的負担、子どもの気質といった内面的な要因が、サービスの受容や利用行動にどのように影響するかを分析できるようになる可能性があります。

心理学の役割は、人間一般に対する解像度を高めることにあります。蓄積された研究知見は、個人の経験知に留まらず、人間の行動や意思決定のパターンを構造化し、一定の再現性をもって示すことが可能です。こうした知見の積み重ねが人間理解そのものを深化させ、サービス開発や体験設計など幅広い領域への応用を可能にしています。

心理学的手法による自己理解支援と調査設計

  • 「主観的な生産性」を支えるセルフモニタリング

人手不足を背景に、多くの企業で生産性向上が重要な経営課題となっています。これまで生産性は、売上高や処理件数、稼働時間といった定量指標を中心に評価されてきました。

一方で、こうした指標だけでは捉えきれない側面もあります。それが、働き方や成果に対して本人が「いま、よく働けている」と実感をもって評価できる状態、すなわち"主観的な生産性"です。

売上や成果には数値化が難しい価値も多く含まれており、他者評価と自己評価にギャップが生じることもあります。客観的に高いパフォーマンスを示していても、本人が「できていない」と感じていれば、メンタルヘルスの悪化や長期的な生産性低下につながる可能性があります。そのため、自身の状態を適切に把握し、評価できることが重要です。

こうした背景を踏まえ、イノベラボは「自分を知る」自己理解の向上を重視しています。この考え方を具現化した取り組みとして、『自分日誌』アプリの研究開発があります。

『自分日誌』アプリは、セルフモニタリングの手法を用いて習慣化や行動変容を支援するサービスです。主な特長は分析機能にあり、利用者の行動データを基に無意識の行動パターンを可視化し、「認知・行動・感情・身体状態」の関連性への気づきを促します。

このように、ITと心理学を組み合わせて自己理解を深めるサポートをすることで、利用者は自身の状態を正しく捉えて自律的に行動を調整できるようになります。その結果、主観的な生産性の向上などが期待されます。

  • 実態把握のための心理学的調査設計

イノベラボでは、心理学的な人間理解を起点に、事業開発におけるニーズ調査の精緻向上にも取り組んでいます。アンケートなどの調査の設計は一見すると容易に思われがちですが、設問の順序や表現の違いによって得られる回答は大きく変化します。

例えば、「AやBで困ったことはありますか?」といった複合的な設問では、回答者がAに困っているのか、Bなのか、あるいは両方なのかを明確に区別することが難しくなります。また、選択式の設問では、適切な選択肢がない場合、やむを得ず最も近い項目が選択される傾向があります。回答者の実態に近い回答を得るためには、心理学的調査の方法論を踏まえたより精緻な調査設計が不可欠です。

さらに、同一の設問内容であっても、紙とWebといった実施媒体の違いや、ラジオボタンかチェックボックスかといった回答形式の差によって、回答傾向は変化します。Web調査が主流となっている現在では、画面構成や回答導線の設計も重要な要素です。

回答者がまだ言語化できていないニーズや答えにくい本音を捉えるためには、人間理解に基づく設問設計が不可欠です。イノベラボでは、心理学の研究で培われてきた理論的枠組みと仮説検証のプロセスを調査設計に取り入れ、再現性を重視しながら継続的な改善を行っています。

研究者と事業開発をつなぐ協働プロセス

心理学研究チームは、事業開発の現場で課題が生じた際に、主に二つの形で関与します。一つは、既存の研究知見を基に助言を行うケース。もう一つは、課題に応じて新たに調査や研究を実施するケースです。

こうした柔軟な関与が可能なのは、研究者が特定のテーマや工程に固定されず、横断的に活動できるイノベラボ独自の体制によるものです。

  • 学術的妥当性と実装制約の両立

事業開発の現場では、常に予算や技術的な制約が伴います。理想的には網羅的な設計が望まれますが、制約によりスコープを限定せざるを得ない場面も少なくありません。一方で、制約を優先しすぎると、本来重視すべき要素や指標が欠落するリスクがあります。

そこでイノベラボでは、まず学術的根拠に基づいて優先度を整理します。そのうえで全体設計を行い、事業開発チームやエンジニアとの対話を通じて、「なぜこの要素が必要か」「どの範囲まで縮小しても目的を達成できるか」といった観点から、制約に即した形へ再構成します。

研究者、事業開発チーム、エンジニアはそれぞれ異なる専門性を持っています。イノベラボは相互の専門性を尊重しながら議論を重ね、当初から妥協点を探るのではなく、学術的妥当性と技術的・運用上の実現可能性を両立した解を導き出しています。

  • 専門知を共有するための翻訳プロセス

イノベラボでは、専門分野の異なるメンバーが円滑に連携できるよう、用語や表現の選択にも配慮しています。心理学の専門用語や概念は、そのままでは伝わりにくい場合があるため、心理学の知識を持たないメンバーとの議論では、相手の専門領域に即した表現に置き換えて説明します。

例えば、人間の思考を情報処理過程として捉え、コンピューターに見立ててモデル化する心理学の考え方を用い、エンジニアの視点に沿った形で説明することで、相互理解が進みます。

このような翻訳のプロセスは、多様な専門性を持つ人材が集まる組織において、視点の違いを踏まえながら共通理解を形成するものとして、重要な役割を果たしています。

人間理解に関する知見を生み出す研究体制

  • 複数分野の知見の統合

イノベラボの大きな特徴は、心理学に加え、行動経済学や生物学など、人間理解を軸とする複数分野の専門家が同一組織内で活動している点です。

例えば、心理学と行動経済学はいずれも人間を対象としていますが、前提とする人間観が異なる場合があります。そのため検討にあたっては、目的に照らしてどの前提が適切かを吟味しながら進めます。

こうした協働により、大学の研究室のように単一分野で構成された環境では得られにくい多角的な視点が形成され、人間理解に関する知見の深化につながります。

  • 既存知の体系化と新たな知見の創出

イノベラボの研究者の強みは、経験則にとどまらない知見や、既存の枠組みでは説明できない知見を導き出せる点にあります。

例えば、熟練した接客の専門家が“直感的に行っている振る舞い”も、心理学的に分析することで、再現可能な形で整理できます。また、既存研究では十分に説明されていない現象については、研究者自身が調査・分析を行い、新たな知見として体系化します。

このように、既存知の活用に加えて新たな知見の創出にも取り組んでいる点が、一般的な開発組織との違いです。

イノベラボの価値創出方法の一例

イノベラボの価値創出方法の一例
心理学を専門とする研究者が、行動経済学・生物学など多分野の専門家と連携することで、多角的な視点から「ヒト」への理解を深化させています。表層的なデータ分析にとどまらない深い洞察は、自社の事業開発やエンジニアリングにも活かされています。画一的なアプローチでは到達し得ない個人の多様性に寄り添ったイノベーションにつなげることで、イノベラボならではの価値創出に貢献しています。
イノベラボの価値創出方法の一例
心理学を専門とする研究者が、行動経済学・生物学など多分野の専門家と連携することで、多角的な視点から「ヒト」への理解を深化させています。表層的なデータ分析にとどまらない深い洞察は、自社の事業開発やエンジニアリングにも活かされています。画一的なアプローチでは到達し得ない個人の多様性に寄り添ったイノベーションにつなげることで、イノベラボならではの価値創出に貢献しています。

学術知見の社会実装を担う、企業内研究者の役割

イノベラボにおける研究開発の核心は、学術的な知見を理論にとどめず、「社会や事業にどのように役立てられるか」という実装視点で捉えている点にあります。

事業開発の現場と隣接した環境にあるため、研究プロセスをビジネスのスピードや社会実装の要件に合わせて設計し、具体的な課題解決につなげています。また、人間理解を専門とする研究者が組織内にいることで、経験則だけでは捉えにくい要素も整理し、再現性のある知見として蓄積できます。その蓄積により、仮説検証の精度が高まり、IT技術への応用にも結び付いています。

研究者が関与することで解決に至った事例を積み重ねることは、事業への貢献に留まらず、企業における専門職の価値を社会に示す試みでもあります。

このように学術と実装のあいだを往復しながら、未知の領域にも踏み込む。その挑戦は、企業における研究者の活躍の可能性を広げるとともに、社会と事業の双方に新たな価値をもたらし続けていきます。

イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第一グループ
市川 玲子(いちかわ れいこ)

博士(心理学)、公認心理師。専門分野はパーソナリティ心理学、異常心理学、社会心理学。2020年にNECソリューションイノベータ株式会社に中途入社し、心理学に関連した研究業務等に従事。
入社後に携わった主な研究テーマは、セルフモニタリングによる自己理解、心理学的行動変容、就業者の主観的生産性など。社内で研究開発したセルフモニタリングアプリの効果検証研究の成果により、日本認知・行動療法学会第50回記念大会において優秀研究発表賞を受賞。

イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第一グループ  市川 玲子(いちかわ れいこ)

INNOVATION STORIES/イノベーションストーリー

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先端技術研究と人間理解の研究、さらには社会課題の解決に貢献する新規事業開発の事例をご紹介いたします。