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ヒューマン・デジタルツイン
・Innovation Story 14
#AI #行動科学 #ヒューマン・デジタルツイン
生成AIと行動科学を統合したヒューマン・デジタルツインの研究
#AI #行動科学 #ヒューマン・デジタルツイン
デジタルツインとは、現実世界の「モノ」や「コト」に関するデータをIoTなどで収集・分析し、仮想空間上に再現してシミュレーションを行い、その結果を現実の運用や意思決定に反映する仕組みを指します。
この考え方を人間に適用したものが、ヒューマン・デジタルツインです。人に関する多様なデータを仮想空間上に再現し、行動や状態を分析・シミュレーションしたうえで、その結果を現実の支援やサービスに活用します。
NECソリューションイノベータのイノベーションラボラトリ(以下、イノベラボ)では、IT分野の専門家と心理学・行動経済学など人間理解を専門とする研究者の知見を統合し、インターネット上の人間活動データを学習した生成AIを活用して人間をシミュレーションする枠組みである「生成AI×ヒューマン・デジタルツイン」の技術基盤の整備を進めています。
本稿では、イノベラボが取り組むヒューマン・デジタルツインに関する研究を取り上げ、仮想空間上に人間を再現することで現実世界の施策検証や改善をどのように効率化できるのかについて、事例などを交えながら解説します。

イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第二グループ
日室 聡仁(ひむろ あきひと)

イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第二グループ
日室 聡仁(ひむろ あきひと)
社会実装における事前検証手段としてのヒューマン・デジタルツイン
多くの研究の現場では、現実世界での実証実験、すなわちPDCAサイクルそのものが構造的な制約を抱えていることが指摘されています。
従来のプロセスでは、施策や製品・サービスの効果を検証する場合でも、企画から実証までに多大な時間とコストを必要とします。例えば、ある自治体が実施した行動変容を目的とした実証事例では、関係機関との調整や必要なツールの制作、実施期間を含め、効果検証の結果を得るまでに約1年を要しました。
多くの研究や社会実装の取り組みでは、こうした時間とリソースを投じても、期待した効果が得られるか否かという不確実性を十分に低減できないという課題が残ります。失敗時の損失が大きいこのリスク構造は、新しい施策やイノベーションの社会実装を難しくする要因の一つとされています。
この課題に対する技術的な解決策が検討される中で、2023年にはスタンフォード大学とGoogleによる研究が、生成AIを活用したヒューマン・デジタルツインの実現可能性を示しました。仮想空間上に人間の行動を再現しシミュレーションするという考え方は、従来の課題認識と整合するアプローチと位置づけられています。
生成AI×ヒューマン・デジタルツインの実証研究と応用事例
- 生成AIとの対話による行動変容の検証(ごみ処理ゲーム)
イノベラボでは、生成AIを活用したヒューマン・デジタルツインの応用可能性を検証するため、人間とAIの相互作用が行動に与える影響を実験的に評価しています。その一例として、環境配慮行動を題材とした「ごみ処理ゲーム」を用いた研究があります。
本研究では、公共財ゲームを環境問題の文脈に応用したシミュレーション環境を構築し、参加者がAIまたは人間と協働しながら意思決定を行う状況を再現しました。参加者は工場の経営者という設定で、発生した廃棄物をどの程度リサイクルするかを複数ラウンドにわたり選択します。リサイクル量は個人と全体の利益の双方に影響するため、協力行動が重要となる構造です。
実験では、人間のみで構成されたグループに加え、AIを含む複数の構成パターンを設定し、途中でメンバー間のコミュニケーションの有無も操作しました。その結果、AIが参加する場合であっても、対話が行われた条件ではリサイクル量が増加する傾向が確認されました。特に、人間1名とAI2名の構成では、コミュニケーション後に行動の改善が顕著に見られました。
この結果は、AIとの対話が人間の意思決定や協力行動に影響を与える可能性を示しています。仮想環境において人間とAIの相互作用を再現し、行動の変化を定量的に評価できる点は、ヒューマン・デジタルツインの有効性を示す重要な要素です。この研究成果は学会においても高い評価を受けました。
- 低コストで実施可能な“仮想人物”による効果検証
また、イノベラボでは、生成AI×ヒューマン・デジタルツインを活用し、多くのシミュレーションで低コストを実現しています。
LP調査
Webサイトのランディングページ(LP)の評価では、20代から70代までの男女1,200人分の仮想人物を生成AIにより生成し、LPを閲覧させたうえで、「内容を理解できたか」「行動したいと思ったか」をアンケート形式で評価しました。その結果、いずれの年代でも高い評価が得られました(シミュレーションコスト:5.8円)。
ポスターの効果検証
生ごみ分別回収の協力者を増やすことを目的としたポスターの効果検証では、1,163人分の仮想人物を生成し、ポスター閲覧前後の行動意向を調査しました。その結果、協力すると回答した割合は59%から71%へと12ポイント増加しました(シミュレーションコスト:372円)。
ダークパターン反応検証
ダークパターン(ユーザーを意図的に誤解させる設計)に対する反応の調査では、100人分の仮想人物を生成して評価を行いました。その結果、76%がダークパターンに影響を受けるという結果が得られました(シミュレーションコスト:0.16円)。
公共財ゲームの検証
複数人が相互作用する状況の再現性を検証するため、公共財ゲームを仮想人物に実施しました。その結果、支出決定の傾向において実際の人間に近い行動パターンが確認されました(シミュレーションコスト:720円)。
このように生成AIとヒューマン・デジタルツインを組み合わせることで、規模や費用といった制約を大幅に低減することが可能になっています。
- 日本人の行動特性を反映したAIシミュレーションモデルの構築
さらに、イノベラボでは、日本人を対象にした「心理学実験データ」や「行動経済学実験データ」といった人間理解に関する学術知見を生成AIに学習させることによって、多様かつリアルな日本人像の再現を可能にしています。
一般的な生成AIは高い応答能力を備えていますが、肯定的かつ協調的に振る舞うよう設計されているため、シミュレーション用途では「理想化された人物」に近い反応を示す傾向があります。そのまま利用した場合、シミュレーション結果と現実の実証結果との間に乖離が生じる可能性があります。
より高い精度で結果を予測するためには、現実の人間がもつバイアスや非合理性、さらには否定的な反応も含めて再現できる設計が必要です。そのため、イノベラボでは人間理解に関する知見を活用し、より現実に近い振る舞いを再現するための研究を進めています。
- 独自の心理・行動データによるAIモデルの高度化
イノベラボでは、AIに人間の心理的側面をより精緻に反映させるため、基盤モデルに対して段階的なチューニングを行っています。
具体的には、心理学や行動経済学に関するオープンデータや既存研究の知見を整理しています。既存の研究データは著作権や利用規約の制約があるため、そのまま使用せず、重要な知見を抽出したうえで独自の心理学実験を設計し、新たにデータを収集・分析しています。分析によって得られた回答傾向や行動特性は、AIモデルに順次反映しています。
これまでに、約1万人分・約700項目に及ぶ設問およびアンケートデータを蓄積しています。これにより、単なるテキスト生成を行う対話AIではなく、統計的根拠に基づいて振る舞う「仮想日本人」の再現を可能としています。どのようなデータを収集し、どのようにAIへ反映するかが、本取り組みにおける中核的な技術要素となっています。


オープンイノベーションによる共同研究体制と検証型プロセス
イノベラボでは、研究の手法として外部の知見やパートナーと連携する「オープンイノベーション」を採用しています。また、意思決定には状況に応じて方針を柔軟に定める「エフェクチュエーション」、マネジメントには短いサイクルで改善を重ねる「FASTアジャイル」を取り入れています。これらの手法を組み合わせることで、現場での迅速な運用を可能にしています。
- 外部機関との連携による共同研究
ヒューマン・デジタルツインの構築には、IT技術に加え、高度なドメイン知識や多様な視点が不可欠です。イノベラボでは、この前提に基づき、大学研究者や企業など外部機関との連携を重視し、共同研究を進めています。業種を問わず複数の企業が関心を示しており、問い合わせの多くは関連する学会発表を契機として寄せられています。
連携にあたっては、勉強会や社内講演を通じて担当者と対話を行い、課題認識や関心領域を共有した上で、共同研究の可能性を検討します。研究は一方的な投資や委託ではなく、対等な立場で意見を交わしながら進める協働型の関係を基本としています。
現在は、政策提言を行う大手シンクタンクとの共同研究も進行しています。政策・制度に関する知見と、イノベラボが有するITおよびデータ分析の専門性を組み合わせ、実効性の高い検討を行うことを目的としています。本プロジェクトでは約1年をかけて共同研究の計画を策定し、専門グループの設置を含む体制整備を関係機関と協議しながら進めています。
このようにイノベラボでは、オープンイノベーションの考え方に基づき、多様な知見やアイデアを取り入れながら研究を推進しています。特定の分野や組織に限定せず、検証を重ねながら発展させていく方針をとっています。
- スモールスタートによる迅速な仮説検証プロセス
共同研究を進めるうえで、イノベラボが重視しているのはスピードです。研究の初期段階は不確実性が高いため、仮説検証を短いサイクルで繰り返すことが不可欠です。これまでの取り組みから、意思決定の遅れや硬直的な運用体制が検証効率の低下を招くことも確認しています。
こうした認識に基づき、イノベラボはスモールスタートを基本とし、企画内容を検証しながら段階的に見直す進め方を採用しています。このアプローチにより、現在の研究においても、組織の枠を超えた実務レベルの連携を継続しています。
開発途上の倫理課題には、多角的な視点で向き合う
生成AIを現実に近い人間像として設計する過程では、倫理的な検討が不可欠です。
ヒューマン・デジタルツイン上のシミュレーションで高い効果が示された施策であっても、倫理的観点から実施が適切でないと判断される場合があります。AIとのコミュニケーションが人の行動に影響を与える可能性がある以上、活用方法によっては望ましい結果だけでなく、望ましくない影響が生じることも想定されます。
イノベラボでは、善悪の二分法で結論を出すのではなく、想定される影響やリスクを多角的に整理し、技術の特性を包括的に把握することを重視しています。こうした検討は、技術の不適切な利用を防ぐための前提として位置づけています。技術の有効性が明確になるほど、社会への適切な実装方法を慎重に検討する必要があります。
また、イノベラボには心理学を専門とする研究者が在籍しており、技術的課題への助言に加えて、人間の行動や意思決定の特性を踏まえた視点を取り入れています。こうした多様な専門性を組織内に備えている点も、研究体制の特徴の一つです。
イノベラボの価値創出方法の一例


IT技術と人間理解を融合したヒューマン・デジタルツイン研究の推進
イノベラボにおけるヒューマン・デジタルツインの研究は、生成AIに対し、人間の行動や心理を専門とする研究者の知見も反映したチューニングを行っており、この“IT技術と人間理解の双方の専門性を組み込んだ研究”に企業からの関心も寄せられています。
社内においても、心理学や生物学など多様な分野の研究者が自発的にヒューマン・デジタルツインを活用した研究に参画し、現在は約15名が関与し、分野横断的な体制で研究を進めています。
イノベラボは、この研究がクリエイティブやサービス開発の質向上に寄与し、多様な分野における価値創出を支える技術基盤となることを期待しています。同様の課題意識をもつ企業や研究機関、アカデミアとの連携を広げながら、実社会での活用に向けた検証を継続していきたいと考えています。
イノベーションラボラトリ サイエンスラボラトリ第二グループ
日室 聡仁(ひむろ あきひと)
行動経済学・心理学などの「人間理解」と、ICT/生成AIを掛け合わせた研究に従事。これまでサーキュラーエコノミーやナッジに関する研究を推進。現在は、ヒューマン・デジタルツインの実現可能性と応用可能性を研究している。















